知っておきたいインドネシアの歴史まとめ③~日本の占領期~

社会・文化

日本とインドネシアの歴史を、ポイントを押さえて分かりやすく解説します。今回は日本人なら知っておきたい、インドネシア日本占領期のお話です。

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日本軍による占領

オランダの植民地政策などに反抗し、独立を求める動きが大きくなってきた20世紀前半。その後、オランダ本土がドイツに占領されたことに加え、日本軍がオランダ領東インドに攻め入ったことでオランダの勢力が弱まりました。

1942年、オランダを破り、インドネシアの領土は日本軍の占領下となります。

そのときボルネオ島から攻め入ってきた日本軍を見て国民たちは英雄のように歓迎したと言います。それはなぜでしょうか。

空軍のイラスト

インドネシアに伝わる伝説!

インドネシアにはもともと「ジョヨボヨの予言」という言い伝えがあり信じられていました。

予言の内容とは、「我らの王国は白い人々に支配される。長い間支配されるが、黄色い人が来て助けてくれる」というもの。この伝説により、インドネシアの人々の中には日本軍を「オランダ軍を破り、インドネシアを独立に導いてくれる英雄」だと信じた者が多くいました。

押さえておきたい日本のしたこと

その後、日本による軍政が始まりました。日本は3年に渡るインドネシア占領期に肯定的な面と否定的な面の2つの遺産いわゆる「正負の遺産」を残しています。*1

押さえておきたい肯定的な面(正の遺産)と否定的な面(負の遺産)について簡単にまとめました☟

正の遺産

独立準備組織の設立 教育訓練 インドネシア語の普及など

オランダ占領下では、オランダ語が公用語とされていました。しかし各地で地域をつなぐ「リンガ・フランカ」としてムラユ語(現インドネシア語)が使われていたため、日本軍は占領後に「インドネシア語整備委員会」を立ち上げインドネシア語の体系化を図りました。

この言語統一は、のちにインドネシアの独立に大きく役立ちます。

負の遺産

〇経済破壊と生活の困窮化 〇強制的な労働 〇日本化の強要 〇原住民への横暴

日本は太平洋戦争のときに掲げていた「大東亜共栄圏」樹立にむけ、強制的に日本化の教育を受けさせます。例えば、日の丸を国旗とする、「東亜の共通語」として日本語を普及する、日本的精神の植え付け、天皇陛下の崇拝などです。

防衛のための強制労働、日本的精神の植え付けは酷なるものでした。

日本が占領した時代はこのようにどの視点で見るかによって捉え方が大きく異なります。そのため、正の遺産、負の遺産、どちらも理解しておくことはとても重要です★

こうした占領は、1945年の「ポツダム宣言」により幕を閉じます。

独立宣言

1945 年8月17日、初代大統領となるスカルノは、ハッタ立ち合いのもと、独立を宣言しました。

独立の文書

スカルノはインドネシアの初代大統領、ハッタは初代副大統領であり、インドネシアの玄関ともいえるジャカルタの空港「スカルノハッタ国際空港」の名前にもなっています。

スカルノとハッタの肖像画が描かれている100万ルピア札

スカルノ大統領の第三夫人といえば、デヴィ夫人。デヴィ夫人の今は亡き夫がお札に載っている。こうして考えると、本当にすごいことですよね。

以前、ばったりとお店でデヴィ夫人にお会いしてお話しできたことは、私にとって本当に嬉しくてかけがえのない宝物です✨

独立戦争

インドネシアは1945年に独立を宣言!これで晴れて独立かと思いきや、宣言を認めずにオランダが再植民地化に乗り出してきました。独立戦争の勃発です。

ついにインドネシア独立にむけての動きが加速します。

次回はついに「知っておきたいインドネシアの歴史まとめ」連載の最終回。

残留日本兵とインドネシアの独立」をお送りいたします。

参考文献・映画(もっと学びたい皆さんへのおすすめ)

後藤乾一 1989『日本占領期インドネシア研究』龍渓書舎 *1

左藤正範1995「インドネシアの歴史教科書における『ロームシャ』について」『東南アジア研究』

芳賀美智雄 2007「インドネシアにおける日本軍政の功罪」防衛研究所戦史部

2001年に公開された映画『ムルデカ 17805』(インドネシア独立戦争にかかわった日本兵士のストーリー)

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