インドネシアは世界最大の島嶼国家!
しかし一つにまとまり国となったのは戦後のごく最近のことなんです。
今回は、インドネシアの歴史を知るときに欠かせない「オランダ領東インド」について大切なキーワードをもとに、かんたんに解説します!
オランダ領東インド

現在は多民族がインドネシア国民として共存していますが、以前は民族ごとに王国がありそれぞれ生活していました。
今のインドネシア共和国の歴史は第二次世界大戦後からですが、それ以前はどのように人々が暮らし、そしてどのように独立を果たしたのでしょうか。
オランダ領東インドとは、オランダ統治時代(1602〜1945)のインドネシア地域の名称。
大航海時代の1596年、オランダの商船隊は香辛料貿易の利益を求めてジャワ島西部に来航しました。
そして1602年に貿易を目的とする東インド会社を設立しました。
その当時、ジャワにはもともとイスラム国家のバンテン王国(Baten; Bantam) が栄えていましたが、1619年にはその土地をオランダが制圧し、東インド会社の拠点としたのです。

オランダ東インド会社とは?
1602年,東洋貿易を目的とする諸会社を合同して設立された株式会社。
同社は政府から東洋貿易の独占権を与えられたほか,東洋諸国と条約を締結し,城塞を築き,軍隊を養成し,文官を任命するなどの権限を与えられ,いわば政治的・軍事的国家権力の代行機関となった。
ブリタニカ国際大百科事典
東インド会社の拠点となったバンテン王国は、オランダ人によってバタビア(Batavia)と名付けられました。
17世紀半ば、オランダ東洋貿易の黄金時代。
香料貿易と植民地経営に成功していたのです。しかしながら、18世紀末にいたって原住民の抵抗やイギリスの圧迫を受け、オランダ東インド会社は1798年に解散しました。
この会社は、世界で最初の株式会社!と言われています。
のちのジャカルタ、バタビア(Batavia)とは?
バタビアという名は、ネーデルランド(オランダ)のライン川北方に住んでいた古代ゲルマンの一部族であるバタウィ人(Bataven)の名称に由来します。
このバタビアは、のちに第二次世界大戦中に名称を変更しジャカルタとなります。
現在でもバタビア通りという道の名や、カフェ、レストランなどの名称としてもバタビアという言葉が残っています。インドネシアに行ったことがある方ならいつの間にか目にしているのではないでしょうか。

オランダによる統治と搾取
19世紀に入ると、ナポレオン戦争の影響を受けオランダ本国の勢力が衰えます。

それにより1811年~1816年まで一時的にイギリスの統治を受けましたが、再びオランダ(王室直轄)の統治が始まります。
その後の原住民への経済的搾取はたいへん過酷なものであり、その不満でジャワ戦争(1825-1830)やアチェ戦争(1873-1903)が勃発します。
オランダ領東インドは、17世紀から徐々に範囲を広げていましたが、オランダがアチェ戦争に勝利したことから、1904年オランダ領東インドを完成させます。
(1915年に今のインドネシアのほぼ全域を植民地化!)
このあたりから民族運動が活発になっていきます。そして植民地化されていた地域の住民たちがひとつとなりインドネシア独立へと進んでいくのです。

いかがでしたでしょうか。
筆者は今、知識を深めるためにインドネシアのロングセラー小説『サストロダルソノ家の人々ージャワ人家族三代の物語ー』を読んでいるところです。
サストロダルソノ家の人々―ジャワ人家族三代の物語 (アジア文学館)
また読み終えたら、インドネシア人家族の暮らしや内容についてレビューしたいと思います☺
次回はインドネシアの「青年の誓い」や「独立宣言」など、独立にいたるまでの重要な歴史をお届けします。
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