独立戦争
1945年、日本軍の占領から解放されたインドネシア。
歴史的に重要な独立宣言については、前回の記事「知っておきたいインドネシアの歴史まとめ③~日本の占領期~」で取り上げました。
1945年8月17日に独立宣言をしたスカルノは翌日にインドネシア初代大統領に就任します。ハッタは副大統領に就任!

しかし、ついに独立かと思われたそのとき、独立を許さないオランダが再び攻め入ってきます。
オランダが再び攻め入ってきたとき、戦争に負けた日本兵の中には、帰国せずインドネシア独立のためにともに戦う者がいました。
残留日本兵

武装解除命令に逆らってまで、インドネシアを開放する夢のためにインドネシアに残った日本兵は2000人ほどいたと言われています。
インドネシアに残った日本兵は一時、脱走兵と言われていましたが、のちに英雄勲章を授与されるなど、名誉回復しました。
多くの犠牲があったインドネシア独立戦争。
Q:どうして多くの日本兵は敗戦後もインドネシア独立のために戦ったのでしょうか?
重要なキーワード「ムルデカ」
”merdeka”【ムルデカ】とは、インドネシア語で「独立」をあらわす言葉。インドネシア人と歴史の話をするときよく耳にする言葉です。
日本軍はインドネシア占領時から、防衛のためにインドネシア人兵士の育成・訓練をしていました。このインドネシア軍はPETAと呼ばれ、38,000人ものインドネシア青年が訓練を受けていました。この訓練により、インドネシア青年たちの間で「独立は自分たちの手で勝ち取るものだ」という認識が強まります。
しかし、1945年に日本軍が敗退して事態は一変。

日本への帰国命令が出ている中で、日本軍は公にインドネシアの独立に関与できなくなってしまいます。
日本軍の隊長・島崎隊長は、オランダ軍に身柄を拘束され拷問されていましたが、奇跡的に青年らによって助け出されます。
そのような流れから、日本兵はインドネシア独立にむけてともに戦う決意をし、インドネシアの青年たちに武器を分け与えてオランダ軍と戦います。
そして、激しい戦いの末、1949年にハーグ協定*でインドネシア連邦として独立し、1950年に今のインドネシア共和国の形となりました。
ブリタニカ国際大百科事典
それ以来、スカルノが独立を宣言した8月17日は独立記念日として毎年お祝いされています。

今年(2020)は、日本にとって戦後75年の年であり、インドネシア独立75周年です!
意外と知られていないインドネシアと日本の深い歴史。
これからも独立のために戦った先人たちのことや、戦争が恐ろしく繰り返してはいけないということを私たちで語り継いでいきたいものです。
独立戦争で戦った日本人のうち、32人は今もなおジャカルタのカリバタ英雄墓地に眠っています。
カリバタ英雄墓地: Jl. Raya Kalibata No.14, RT.14/RW.1, Kalibata, Kec. Pancoran, Kota Jakarta Selatan, Daerah Khusus Ibukota Jakarta 12740 インドネシア
おすすめ映画
インドネシア独立のために戦った日本兵の話をよりわかりやすく、映像で学びたい方におすすめの映画「ムルデカ17805」

第二次世界大戦後、インドネシアに留まり独立戦争に参加した日本人将校の姿を、事実に基づいて描いたドラマ。
おすすめ図書
メアリーM.ロジャース,草野淳 訳 1998『目で見る世界の国々㉛インドネシア』
↑:写真が多く、歴史以外にもインドネシアの文化や社会についてわかりやすく書かれているため、「インドネシアってどんな国?」をお子さまと一緒に学ぶ方にもおすすめです)
長洋弘 2005 『母と子で見るA44 二つの祖国に生きる インドネシア残留日本兵 乙戸昇物語』
↑:数多くの貴重な写真とともに、残留日本兵の生涯を非常に読みやすくまとめた一冊です。戦争の時代から現代社会に至る過程を肌で感じることができます。
阿羅健一 1994 『ジャカルタ夜明け前ーインドネシア独立に賭けた人たちー』
山田道隆 1995 『いま、インドネシアがおもしろいー外信記者が見た多様性国家ー』
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