どうも、ちっちです!
ブログを見に来てくださり本当にありがとうございます^^
昨日「遠距離恋愛とリアルな日本待機中の話」を投稿し、調子に乗ってきたので今日はインドネシアにハマったきっかけ【私の人生を変えたエピソード】を話します😄
ご挨拶
(※この記事は固定ページ記事「About Me」を一部編集したものです。)
この記事を書いた人

【ちっち】(26)
日本語教師 / 国際恋愛もうすぐ4年目! / 現地採用でバンドンに移住予定(コロナで日本待機中)
なぜインドネシア?
☞学生時代
当時わたしは韓国が大好きな高校生。しかし気が付いたらインドネシアの魅力にはまっていました。
一体なぜ?
中学生のときに東方神起にはまり、韓国語の勉強を毎日続けました。
このときの私の夢は韓国の大学に留学すること!そしてゆくゆくは在宅の翻訳家になろうと目標を立てました。

そのあと、韓国への留学制度が充実している大学に入学!そこはいろんな国の言語を学べる大学でした。
入学直後、各言語の先生からその国の言葉の紹介がありました。
フランス語・韓国語・中国語・ドイツ語~~~
「もちろん私は韓国語を履修~」・・・・・そんなことを思っていた矢先、目の前にインドネシアの魅力を全身で伝えてくる一人の先生が現れました。
先生「インドネシア語のありがとうの語源は「愛を受け取る」という意味なの」
…
「旅行雑誌じゃらんの「じゃらん~じゃらん♩」ってインドネシア語なのよ!」
…
「もし落ち込んだ時はインドネシアに行けば悩みが吹っ飛ぶわよ!なんで悩んでたか分からなくなるの」
…

「・・・なんだこのときめきは。インドネシア語ってなんだ!初めて聞いた!そもそもインドネシア語がローマ字ということも知らなかった。おもしろそう!」
インドネシア語に出会い、その魅力にハマる。
結局、思い切って!韓国語と並行してインドネシア語や東南アジア・インドネシアの文化の授業を受け始めることに。
そして大学時代には、夢だった韓国に一年間交換留学したり、短期でカナダにホームステイしたりしながらも、ますますインドネシアに興味を持っていた私は大学3年生のときインドネシア語検定D級をひとまず取得しました。
もうすぐ卒業。

でもまだインドネシアに行けていない…
そんなとき!
先生から「日本語パートナーズ」のおすすめ
先生から、「日本語パートナーズはとても魅力的なプログラムでね・・・」と悩んでいる私におススメしてくれました。
日本語パートナーズとは、ASEAN諸国の中学・高校で現地の先生と一緒に日本語を教える日本語教育支援プログラム。

インドネシアに住める体験はこのあと無いかもしれない!
そう思い、1年の休学を決意して大学4年次に「日本語パートナーズ」に参加。インドネシアの高校で半年間日本語を教えることになりました。
地域は西スマトラのパダン!

【未知の世界】笑って笑って毎日幸せなインドネシア生活
はじめてのインドネシアで日本人が全くいないパダンで暮らすのは刺激が強すぎました。
濃~い文化、目にするもの、食べるもの全て初めてのものばかり。

高校では職員室の先生も生徒も笑いっぱなし。
みんなで囲んでご飯を食べる。休み時間は何かとおかしを与えてくれる。
授業中にヤギとねこが教室に入ってくる。道端には巨大トカゲと牛が散歩中。
遊びに行くのは決まって大自然!

それから森に実っているドリアンを見て「食べたい!」と言ったら「落ちるまでここで待ってよう」のパダンジョーク。。。

だめだ・・・おもしろすぎる、ここは・・・
「・・・・・将来はインドネシアに戻って日本語教師をしよう!!!」
そう誓って帰ってきた私は24才から言語教育を改めて学ぶため、大学院に入りました。そして25才(今年の春)に外国語教育学の博士前期課程を修了。無事に日本語教育専門家養成講座も修了しました。

「#インドネシア #日本語教師」に的を定めて就活
インドネシアで日本語教師をしたかった私は、「インドネシア」「日本語教師」のキーワードに絞り大学院修了後の就職先を探し始めました。
大学院に通いながら、日本語教師の募集サイトを毎日チェックして、インドネシアの学校から募集がかかっていないか確かめる日々。
そして募集が出たと同時に修士論文と同じくらい意識を集中してオンライン就活に挑みました。
そして応募した会社から内定をいただき、今年の4月からインドネシアで働くことになったのです。
しかし現在、晴れてインドネシアで日本語教師!のはずが、コロナウイルスにより、日本で待機することに。
最近の日本で待機中のリアルな生活はこちらの記事です。
続きはまた明日♩ではまた😊👋
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